Winny事件 雑感

2004年 5月15日
記事ID d40515

ここでいうWinny(ウィニー)事件とは、 日本時間2004年5月10日に、日本で、Winnyというソフトウェアを開発した技術者(通称47氏)が逮捕された事件を指す。 Winnyというソフトウェアは、Freenetのアイデアをもとに、 日本語圏ユーザ・Windowsプラットフォームという非常に限定的なユーザを対象に開発された、脱中心系通信クライアントのひとつらしい。 機能は基本的にはFreenetと同じようだが、ユーザの平均帯域が広い日本での運用に最適化して、 大量のファイルの高速転送ができるようだ。

ユーザは日本語圏以外にもおり、自分が知っているヨーロッパの人も使っている。 しかし、インターフェイスやドキュメントは日本語のみで、 ほとんどのユーザは日本語圏のようだ。 (上記のヨーロッパ人は来日経験もある日本語学習者で、 Windows のロケールを「日本」に設定している。)

もくじ
概要
プログラムの著作物により自己の感情や思想を創作的に表現したにすぎない開発者の表現の自由など。
火の使用を発見した原始人の...
このような逮捕劇が起こり、賛否両論が出ることは自然だが、法律があまりに恣意的に運用され、法律への信頼が揺らぐとしたら残念だ。
3つのフェイズ
iTunesのDRMを回避するツールをめぐる法的な争いのなかで、インドのfsfが法律的支援とともに、このツールの配布を引き受けた。 そのドキュメント等に対する感想などから、連想的にWinny事件について書いたメモ。
ソリバダほか
同じように作者の責任が刑事裁判で問われた韓国のソリバダなど。
ヒコーキ野郎たち
2004年5月20日追加。
注意

以下の内容は、この事件に関連して、ふと思いついたことなどを、いろんな日付に、 あちこちに書き留めておいたものです。 緻密な考察というより、「こういう点はどう判断したらいいのだろう」といった考察前の荒削りな(時には極論的な)話も多いですが、 何かの参考になる面もあるかもしれないので、まとめておきました。 自由な意見交換や、いろいろな見方があったほうが良いと思ったからです。

使ったことのないソフトなので、それ自体として「どのくらい守る価値があるか」という現場のユーザとしての実感がつかめず、 その点が歯がゆいですが、全体としては結局「技術革新と既存の制度の間で起きるいろいろな摩擦」という問題があるように思います。

概要 (2004年5月15日)

このP2Pネットでの大量のファイルの自由な流通は、音楽産業などの既存の産業の権益と衝突した。 また、児童ポルノの流通のような、現行法上違法な行為にも寄与したようだ。 警察官自身も愛用するほど普及したが、副作用として各種機密情報の漏洩も起こった。 Freenetの一般的特性(このソフトにもあてはまるようだ)として「人間主権より情報主権」ということがあり、 いったんこの分散系にキャッシュされた情報は、たとえ内容に不適切な点や誤りがあっても、原則として消去できない。 Freenetでは、消滅するのは情報自体が参照されなくなる「情報自身の死」の場合だけだ。 Winnyでもほぼ同様だろう。 したがって、このP2Pネットそのものを破壊しようというのが、Winnyの開発者が逮捕された真の理由だったと思われる。 逮捕の形式的理由としては、このネットを使って公共送信権を侵害した少数のユーザを正犯とみなし、 開発者にその「ほう助」の疑いをかけた、と伝えられた。

一般論として言うならば、ソフトウェアが悪用されることがある(悪用されることが多い)からというだけで、 ソフトウェアの開発者にまで罪を着せることは、まったく好ましくない。さらに、ソフトウェアの開発者が悪用される可能性を認識していたり、 悪用されても構わないという未必の故意を持っていたとしても、なお、それを罪とするのは、明らかに問題が多い。 「このソフトを使ってこういう悪いことをしたい、という正犯の意をくんで、もっぱらその目的だけに開発した」というのであれば、 一般常識に照らして、それを問題視することも可能であろう。しかし、このWinnyというソフトウェアは、 Freenet同様、匿名掲示板機能を持っていたそうだ。匿名掲示板での情報交換は何ら違法ではないのだから、 このソフトの開発があらゆる側面でもっぱら違法行為のほう助であったは言えないであろう。 さらに問題の作者は、このソフトの開発によって、お金を儲けていたわけでもないようだ。

恐らく、真の開発動機は単に「技術的探求心」であっただろう。 実際には単純に技術的なことが中心であったものを、裁判などで、形式的にどこまで「違法目的とする故意」があったか決めつけようとし、 あるいは判断するのか、というのが、ポイントかもしれない。 その真の答は、開発者の内面にしか存在していない。 「こういう思想で作ったのなら許せるが、こういう思想で作ったのなら犯罪だ」というように、同じ外形的行為が、単なる脳内の思想の種類によって、罪とされ、 あるいはされないという構造から実質上「思想犯的」な観点もあり、 突き詰めると、プログラムの著作物により自己の感情や思想を創作的に表現したにすぎない開発者の表現の自由、 思想の自由ともからんで、軽視できない問題をはらんでいる。

各方面から疑問視の声もあがり、10人から成る弁護団が結成され、 たくさんの寄付金が集まっているという。

参考クリップ

京都府警は29日、ひったくり事件の被害者ら11人分の個人情報を含む捜査関係記録がインターネットに流出したと発表した。 (中略) 流出したのは交番に勤務する下鴨署地域課の巡査が、個人用パソコンに保存していた指名手配書や捜査報告書、鑑定嘱託書など計19枚の記録。 (中略)巡査は「Winny」などファイル共有ソフトを使ったことがあるとみられ、パソコンを自宅でインターネット接続した際ウイルスに感染、ハードディスクにあった記録が流出した可能性があるという。(共同通信)

Yahoo!ニュース 2004年3月29日付け「捜査記録がネット流出 京都府警巡査のPCから」より抜粋

火の使用を発見した原始人の...

要約

「このような逮捕劇が起こり、賛否両論が出ることそれ自体はむしろ自然だが、 以降の展開で、法律があまりに恣意的に運用され、法律への信頼が揺らぐことが起きてくるとしたら残念だ。 Winnyの作者側にも、不用心な点があったと思う」という内容のメモ。

メモ

2004年5月13日 [Winny] 火の使用を発見した原始人の誰かをその原始社会でやっつけても、 長期的に火の使用とかエネルギーの人為的活用ということがやむわけがない、という思考実験をすることはできる。 未来からみれば、火を使用・制御する技術の開発が良いものであることも確かだ。

「火の使用は悪魔のわざだから、やめなさい」と宣伝する人がたくさん出るのは、 それだけそれが大きなポテンシャルのある技術であることを示しているだけで、 重要な技術であればあるほど、それについてさまざまな意見が出るのは当然だから、 それはそれで良い。

ただ、その過程で、法律なんてあてにならない、守っても守らなくても、どうせでたらめだ、という風潮が広まってしまうとしたら、 とても残念だ。残念だし、法律やら裁判やら何だか火の使用は悪いとか言ってるけど、どうせでたらめだし、あてにならないし、 しらねーよ。いいじゃん、あったかいし。まる。で終わってしまう。でたらめなやめさせ方でやめさせようとしても、 逆効果ということだ。

本当にそれをやめさせたほうが全体にとってメリットがある事案なら、必ず納得のいくやめさせ方というものがあるはずだ。 納得のいくやめさせ方ができないのだとしたら、結局、それをやめたほうがいいという合理的な根拠は何もない、ということを、 間接証明していることになってしまう。

おおよ、著作権法をもっともっと死ぬほど強化してくれよ。 プログラムは著作物なんだろ、保護したいんだろ、死後75年だか何だか。 じゃあプログラマーを妨害するやつらは全員著作権法妨害罪で射殺したらいいだろーよ。 「こういう社会制度はこう変わるべきだ。実際、こういう制度ではこうするとだめだめだから」という思想感情を創作的に表しちゃいけないんですかい。 「こうするとだめだめじゃん」とよーく納得のいく形で指摘することがだめなんですかい。 「ホントだ、こうするとだめだめだ」という真実を納得させてしまったことがいかんのかい。

とはいえ、これはありうべきことだから、不用意な面もあったと思う。 オープンソースにして、sfで公開していたら……。 開発者が20人くらいいたら……。 そして……Freenetのソースに対する改変という形にしていたら……。 「解き放とう」としていたわりには、縛って閉じ込めていたという事実によって、 Winny は、二重の意味で、縛って閉じ込める方法は弱い、ということを示したような気がする。 二重の意味の二番目はとても皮肉なことだが。 そしてまさにその理由で、Winny は普及しなかった(一部地域ローカルで終わった)のかもしれない。 秘密にすることで保たれる安全・暗号は、まったくあてにならない、という常識的直感があるからだ。 実際、自分自身、Freenet 0.4からWinnyに乗り換えるということは、ほとんど考えさえしなかった。 「暗号というのは公開しても破られないやつだけしか信じられない」という感覚のせいだったのかもしれない。 またそれが今のWASTEに対するのほほんとした居心地の良さなのかもしれない。 軍隊とかNSAとかならともかく、日本の警察が逆立ちしても1536ビットのRSAを破れるわけない、 というのはほぼ数学的な事実なので……。

そうはいっても、Winny は Winny で無念である。 どんなに敗訴しても、こんな日本ローカルのその他大勢的ソフトをつぶしても趨勢は変わらないのだが、やっぱりがんばってほしいとおもう。 全体で見ればその他大勢的でも、日本では重要な役割を果たしたことに変わりないのだし(ファイルローグが、 当時そうだったように)。

3つのフェイズ

要約

iTunesのDRMを回避するツールをめぐる法的な争いのなかで、インドのfsfが法律的支援とともに、このツールの配布を引き受けた。 そのドキュメント等に対する感想などから、連想的にWinny事件について書いたメモ。

メモ

2004年5月12日 DeDRMS かぐわしい響き…w

http://firestuff.org/playfair/DeDRMS.cs

長期の裁判を戦い抜いた後のDeCSS作者を見ていると、少し心強い可能性が思い浮かぶ。 47氏をいじめることは「裁判なんて怖くない」「もう分かったから、今度はそうはいかないぞ」といういっそう筋金入りの技術屋を育てるための、 試金石なのではないか、と。まして無罪になったらね。なんかじつに不愉快だから、自分もWinnyユーザになって、 アフガニスタンの写真でも配布しようかな…。導入記事なんてどんなに削除させたって、どっかにあるに決まってるしなあ。

2004年5月12日 http://hymn-project.org/ Please spread the word about project "hymn"! 日本では、 「DRMによるコピー禁止」どころか、「DRM回避禁止」どころか、さらにさかのぼって輸入権とやらで「iTunesそれ自体」が非合法化されてしまいそうなところがむなしい。ドキュメントでは、 「凶器に使われる可能性があるから野球のバットの製造を禁止しなければいけないのか」と、 ここでもシンクロして、同じような議論をしている。「わたしは、これこれの目的でこれを作ったのだ」ということを明確にすることが、 まず第一である。それでも「未必の」と言われると困るが、「未必の」だと、それこそ野球のバット製造者も凶器に使われる可能性があることは認識しているので、かなり微妙な話になる。技術には3つのフェイズがある、という分析がおもしろい。

  1. 法律でそれを禁止しようとするフェイズがあり、
  2. 対抗技術でそれを禁止しようとするフェイズがあり、
  3. それらが失敗した後で、その技術を使ってお金を稼ごうとするフェイズになる。

新しいものを排斥し、悪口を言い、とりあえず既得権にしがみつこうとし、排斥できないと分かると、その技術を受け入れ、 (これまでは金儲けの妨げだと言い張っていたのに)一転してそれを金儲けに使い出す。 そうなってみて「何だこっちのほうがいいじゃん。もっと早くからこうしてれば良かったね」となる。 セマンティックWebの話と似ている。 「HTMLも注目され始めた当初は『ひどい言語だ』『なんでこんなものを使わなくてはいけないんだ』と言われた。そのうち『わかったよ。どうやらこれを使えばうまくいくみたいだから使ってみよう』と言われるようになり、最後には『なんてことだ!なぜこんなすばらしいものを今まで使わなかったんだろう!』となって、これがいかにエキサイティングなものであるかを説明する必要もなくなった。セマンティックWebも今、同じ道を途中まで来ている」

ビデオデッキを非合法化しようとした世代があり、RIAAがMP3プレーヤーを非合法化しようとしたことは、つい最近だ。 結局、ビデオデッキのおかげで映画は新しい販路を見出し、携帯プレーヤーのおかげで音楽は新しい販路を見出すのだが。 その過渡期のつかの間の混乱のなかで、バランスが崩れると「ビデオデッキを開発した疑いで逮捕」されたりする、 とても悲しいことだ。たとえとして「ビデオデッキ」を発明した技術屋のイマジネーション、新しい技術への挑戦、創造性、天才性、先見性、 そういうものををつぶしていって、 何が残るのだろうと思うと、とても悲しいことだ。

つまり、まずテレビを録画することを違法にしておいて、「ビデオデッキはテレビを録画する以外の使い道がないから違法」とするのである。 Winnyはわざアリにも使われており、 合法的なビジネスチャンスの萌芽に結びついていたことは周知である、とか主張してほしい。まあWinnyユーザじゃない自分が数分で思いつけるくらいのロジックだから、コミュニティでは激しく外出だろうけど・・・・

ソリバダほか

内容

Winny事件(2004年5月10日)の第一報を間接的に知ったときの最初のメモ。 同じように作者の責任が刑事裁判で問われた韓国のソリバダを連想した。 「MADニュース」はもちろんジョークで、光ファイバーが善用できることは周知なので、実際にはこんなことはあり得ないが、 「ほう助の概念をいたずらに広げると、無制限に逮捕できてしまう」という感覚が裏にある。 「メモ2」は京都新聞の初期報道についてのもの。

メモ

MADニュース「著作権法違反幇助!の疑いでNTT西日本社長宅から光ファイバー押収――違法行為に使われていることを認識しながら、違法行為を容易にした疑い!」

もうすぐ俺たちの目の前で起きる現実がその答えだ (あいさつ)

Winnyの開発者が摘発されたそうで、こういうケースは初めてだ、とか幇助?とか書いてありますが。 幇助とすると正犯は誰なのだろう。。。Freenetの作者も幇助の幇助で摘発すかね。そのほうがおもしろいけど。。 「ソフトの開発者を著作権を侵害させた幇助とみなして逮捕した例は恐らく世界でも極めて珍しい」と ネットと著作権法に詳しいとかいう弁護士がコメントしているそうですが、 韓国に音海(Soribada)というソフトがありまして、同じ話なので、 そのときどうだったか、というと、やっぱり刑事的には無罪。 しかし、日本はせんしんこくなのでわかりませんよねーーーーーー。それと、関係ないけど、こういうときでも、 もっとセンセーショナルな事件のときでも、めったにフルネームで実名報道しない韓国のマスコミ、その一点に関しては、 何となく好感。ときどきものすごくひねった深読みしないと分からない辛辣なことが書いてあるのは、逆に、それだけ、 書けることの幅が狭いのだろうなというきもするが。。

余談はともかく、ひとつだけ確かなのは、仮に罪になっても、「どうして有罪になったか」のロジックが公開されること自体が、 次につながる「公共の福祉」である、というのが、これまでの流れではないでしょうか。へりくつは二度は使えないから。

メモ2

包丁は野菜を刻むこともできるし、人を傷つけることもできる。罪に問われるのは、人を殺傷した実行行為者だけだ。拳銃は、人を殺傷する以外に目的を持たず、日本では所持も製造も禁止されている。京都府警が今回、ウィニーという通信ソフトの開発者を著作権法違反の「ほう助」で立件に踏み切るのは、同ソフトをネット社会における「拳銃」の開発に等しい、と判断したといえるだろう。

と、このくらい、「拳銃」を使ったことがない自分ですらすぐ思いつくのだから、「拳銃」のユーザの世界ではもっといろいろあるだろう。 P2Pを知らない人が「一般人が知っているような使い方以外に使い道はない」と思い込むのは仕方ないかもしれないが、 知っている側からみると、フェアな議論ではない。「暗号は犯罪以外使い道がない。暗号=犯罪」としてPGPがつぶされそうになったことを連想する。 暗号がなければ、ネット上の商取引などできず、今のオンラインビジネスはまったく成り立っていなかったのだが、 PGPができた時代の人に2000年をすぎるとネットはこうなっているんですよ、と教えてあげる方法はないので仕方ない。

ヒコーキ野郎たち

2004年5月20日 Winny開発者・支援サイト開設 支援金1000万円に

ある研究者は書いている。 「P2P掲示板については匿名性等を高くしたり、掲示板の内容を広範囲に広めるためにいろいろなプロジェクトが進んでいますが、多くの課題がありWinnyを超えるソフトは未だ完成していません。」(P2P掲示板の考察【前編】

世界最先端の実装のひとつだった、ということだろう。

トップレベルの研究者を、2ちゃんねるで場所柄悪ぶった語調の書き込みをしたといった妙な因縁をつけて、逮捕したのだとしたら、ひどい話だ。

どこが問題なのか。 技術の研究、ましてや紹介が、いちいち問題視されていたのでは、 誰もが不安を感じる。技術者や技術を紹介するサイトでは「明日は我が身」と思う。 (それ以外のかたにはあまり実感がないかもしれないが)

上の文章は、日本語っぽいロジック、という点から観察すると、別の意味でおもしろい。 一方では開発者の群を抜いた才能を高く評価しているが、 他方では「逮捕は話題性を求めた警察のスタンドプレー」として警察の「勝手に自分だけ飛び出した行動」を批判している。 日本語のロジックでは「うむうむ、まったくだ」と納得がいくが、翻訳者はちょっと考え込むかもしれない。 「こうした人材を逮捕し、ソフトウェアの研究開発を萎縮させることは、日本の国益にかなうことでしょうか?」も、 翻訳したら原文ほど訴える力がなくなるだろう(日本の利益にならない、といわれても、日本の外では共感できない、という当たり前のことだが)。 それが良いとか悪いとかでなくて、そういうロジックの基礎になっている考え方に思いをはせるとおもしろい、というだけだが。

ヒコーキ野郎たち

航空の草創期、ヒコーキに対する法律がまだちゃんと決まっていなかったので、 どこかヨーロッパの片隅の田舎の国では「複葉機に乗って空を飛んだ」という間抜けな理由で逮捕されたヒコーキ野郎がいたかもしれない。 空を飛ぶ行為の実行と動機が総合的に悪いのだ、などと変な理屈をこねられて。

そのヒコーキ野郎をめぐって、船舶や馬車に関する法律の条文をあれこれ引き合いに出して、 やれスピード違反だ、交通法規違反だ、あーでもない、こーでもないと議論する法律家もいたかもしれない。 (馬車産業の保護のためとか)

あるいは、大けがをしたり、死んだりして、「身から出たサビだ。空を飛ぶなど不条理なくわだてを」とあざ笑われたやつもいるだろう。

あるいはまた、夜に空を飛んだという理由で、「安全なんとか違反」で捕まったやつも、いるかもしれない。 実際、夜間飛行で死んだやつもいるだろう。最初にやるやつは、少しばかで、無謀で、自分の直感だけを信じている。 人はそれを批判して「そんなばかなことはぜす、こういう風にやればもっと安全だったのに」「こうするべきだった」 「こうするべきでなかった」としたり顔で、ぞろぞろついてくる。「ばかだな、あんな大きな石につまずいて」先頭の者がやぶを開いたらから丸見えになった足下の石を指して笑う。でも、誰かが最初にやらなければならない。

歴史にはそういう面があると思う。

2004年5月19日 Winny - 勾留理由開示請求公判


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