公共放送の「公共」って何?

NHK改革論議がいろいろなされていて、最近はとても政治臭い動きになっている。この問題はたくさん専門家がいて、これまでも長い議論をしているので、そういう細かい論点について、素人がいえることはさしてない。

素人にできることは、「国民」としての意見なり考えなりを表明することだ。素直な信頼、率直な批判、現場で見聞きした事実、それに直感。そのあたりなら、建設的である限り、世論の一部として、わずかでも改革論議に参加できるのではないかと期待したりする。聞いてもらえれば、だけど。

というわけで、以下は私の「一国民」としての考え。

公共放送をどうするかという問題は、独断でいうと、「公共」「放送」を「どうするか」という3つの問題に分かれると思う。このうち「放送」とは何かについては、通信との関係で専門家の皆さんが侃々諤々の議論がなされてるし、「どうするか」の議論は政治家の皆さんが料亭でいろいろやってるんだろう。で、報道に接する限り、素人の個人的感覚として、「公共」とは何かの部分についての議論が少し弱いのではないか、と思ったりしたわけだ。
(補足:今回のNHK改革の話に限らず、この種の改革ものだと、問題と解決策が独立に選ばれる「ゴミ箱モデル」の意思決定プロセスがよくあてはまる。上記のような「分けて考える」アプローチは変にみえるかもしれないが、それなりに意味のあることだと思う)

前から思っていたのだが、「公共」ってことばはけっこうくせ者なんじゃないか。NHKが「公共」放送だというときの「公共」と、「放送の公共性」というときの「公共」はちがう。いろいろな文脈でいろいろな意味があって、どうも人によって場合によってちがった意味で使われてるのにそれがごっちゃにされてるから議論がかみ合わないんじゃないか。というわけで、少しだけ考えてみた。

結論から先にいうと、NHKのあり方は、「公共」を構成するいくつかの要素において、都合のいいところをつまみ食いしているという印象がある。

「公共」ということばが示すものは、ラフに分けると、「組織」、「内容」、「権利」ぐらいの要素があると思う。

1 組織面
「公共放送」というときの「公共」は、第一義的には、特殊法人であるという「組織」面での公共性を意味するような気がする。NHKは法律でその存在を定められた公的機関であり、その予算は国会の審議を経て可決される。テレビ保有者が受信料を支払わなければならないと法律で定められているのも、こうした「公共」性のゆえだし、NHK職員も、公務員と同様の公共的責務を負うという議論になろう。

この点に関して、現在のNHKはかなりの部分公共的だ。予算面では政府の干渉を受ける余地はあるが、少なくとも組織上は政府の干渉を受けることはないし、スポンサーもいないわけで、独立性はかなり保たれている。受信料が法定となっているのもこれを制度的に保証するためのものだから、これはかなり強い保護だと思う。このあたりは、民放とはかなりちがうといっていい。NHKのトップが「独裁」とかいって非難されたことがあったかと思うが、外部からの「独立」と組織内部の「独裁」とは、問題としては別ものだが、まったく関係ないわけでもないだろう。

2 内容面
放送の内容面での「公共」性は、放送の内容をどうするかという問題だ。この点に関しては、民間放送も「放送の公共性」を主張しているから、その議論とダブることになる。ここでの公共性は、放送内容を商業的な配慮だけで決めるのではなく、報道など公共的な目的のものも含める、というのが内容になる。当然ながらNHKと民放ではその「程度」が異なっていて、NHKだとゴールデンタイムに報道特集番組を組んだりするが、民放ではなかなかそれはできない。

とはいうものの、民放がある程度公共性に配慮した内容を放送しているのなら、NHKが負うべき「公共性」の範囲は減少するし、逆にNHKレベルを「公共性」と定義するなら、民放が負っていると称する公共性などはまがい物、ということになる。現実をみると、民放だって何かことがあれば特別番組を組んでCM抜きの放送をすることがある。一方NHKのエンタテインメント志向はかなり強まっていて、民放に対抗するためのサービス合戦、といった様相を呈しているように思う。どうもこの点でのNHKと民放の差は、NHKがいうほど大きくないのではないか。

3 権利面
放送されたものは誰の権利に帰属すべきなのか?という観点だ。この点はNHKについてはこれまでほとんど議論されたこともないように思うが、公共性というものを考える際には、とても重要だ。もちろん、NHKが作ったコンテンツはNHKの著作権に属するわけだが、NHKが公共的存在であるならば、そこで放映されたコンテンツは公共のもの、つまり国民に開放されるべきものではないのか?という論点がありうる。

この点に関しては、同じ公共放送であるBBCの動きが参考になる。最近、BBCが、過去のニュースクリップを英国民向けに公開する「BBC Open News Archive」というサービスを始めている。登録すれば無償で動画を非営利目的に使うことができる。海外からアクセスしようとすると、

We think you are outside of the UK
Sorry, you've been declined because our system shows that you are outside the UK.
みたいなメッセージが出てきて先には進めない。このサービスは、BBCの「Creative Archive Licence」に基づいている。これはクリエイティブ・コモンズのBBC版みたいなものらしいが、どこがちがうのはよく知らない。英国内にサービスを限る理由は基本的には権利処理の問題だし、クリエイティブ・コモンズの考え方は公共性の話とはちがうが、サイトの説明を読んだ限りでは、公共放送が作った放送コンテンツは公共のもの、つまり国民のものであるべきだという考え方が底流に流れているような気がする。

この観点では、NHKは事実上民放となんら変わるところがない。NHKは関連会社を通してコンテンツビジネスを幅広く展開している「大企業」だ。現在、「みなさまのNHK」のコンテンツは、「みなさま」のものではなくNHKのものとなっている。なんだか「君のモノは僕のもの、僕のモノは僕のモノ」みたいな話だ。

BBCだって似たようなことをやっているが、同時に上記の「Open News Archive」とか、podcastingみたいな取り組みをどんどん進めている。取り組みをしてるかしてないかは、ものすごく大きな差だと思う。

要するに、NHKは、組織面では「公共」をたてにとって受信料収入を確保する一方で、内容面ではかなりの部分民放と同じように娯楽性を指向し、権利面では民放と同じように権利を囲い込んでいる。こういうのを、一般的には「いいとこ取り」というのではないかと思うがどうだろう。もちろんこれは程度問題だから、NHKはまるでダメ、というわけではないのだが、改革論議に関連して何を改革すべきかという議論をするのであれば、放送の公共性とは何か、それはNHKの存在を必要とするのか、NHKが必要ならその公共性とはどうあるべきかについて、きちんと考えてもらいたいと思う。

個人的には、どちらか一方にもっとシフトしてもらいたい。公共放送が必要なら娯楽コンテンツはもっと減らすべきだと思うし、放送されたコンテンツは国民の資産として公開していくべきだと思う。今のように娯楽コンテンツをどんどん作るのであれば、民間企業であっていけない理由はない。

以上、一国民の声。

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